思い出の飛行機
主人は終戦直前海軍飛行隊に所属、爆撃機に乗っていました。
同期生が送ってくれた、練習機・爆撃機のプラモデルを大事にしています。
一式陸上攻撃機11型
石川県小松飛行場から九州出水飛行場で特攻隊編成し 沖縄周辺の米軍艦船攻撃に出撃 |
九六式陸上攻撃機の後継機として昭和12年に開発され、昭和16年4月に海軍に正式採用された
双発の攻撃機。一式陸攻の最大の特徴は、航続距離が長い事である。燃料タンクにインテグラル式タンク
(翼自体が燃料タンクになっているもの)を採用した事から、航空燃料を5000リットルも搭載でき
4発重爆撃機のB17と遜色ない航続力を保持する事ができた。しかしこの燃料タンクには防弾設備が
一切なく、敵戦闘機の機銃弾が命中すれば火を噴き、墜落していくという撃墜され易い飛行機であり
「一式ライター」とか「ワンショットライター」というあだ名もあった。機体は葉巻型で
流れるような美しい機体で、攻撃機特有の宿命をもっていたが、流麗で優雅な姿であった。
九三式陸上中間練習機 「赤トンボ」
東京羽田飛行場で搭乗して、編隊飛行・宙返り 背面飛行・計器飛行等の訓練をしていた |
日本軍の練習機は、目立つようにオレンジ色に塗られたことから「赤トンボ」とよばれた。
空技廠の設計した九一式練習機が安定性に問題があっため、川西航空機で改良したもので
1934年に採用されて、1945年の太平洋戦争終戦まで用いられた。
太平洋戦争の末期、戦争に参加した主人は、本土決戦に備えて爆撃機残存のため
終戦時は爆撃機とともに千歳にいました。戦死した友を思ってか、これまで終戦前後の
ことは、あまり話しませんでした。戦後60年以上も過ぎた今、戦争の悲惨さを語り
搭乗操縦した飛行機のこと等も、話しています。(とこちゃん記)