横 手  かまくら
    
  まず羽黒町の武家屋敷跡通りへ。大きなかまくらが道に並び、焚き火と塀際のミニかまくら
   の灯火等情緒がある。次の横手南小学校は全生徒作ミニかまくらが校庭一杯に並んでいたが
  灯りをつけている途中で残念。ここから道沿いにミニかまくらが灯る中を歩いて蛇の埼橋へ。
   橋から見る川原の沢山のミニかまくらの灯火が幻想的!最後に横手地区局前かまくら通りへ。
   地元の子供達が、かまくらの中の水神様前で餅を焼いたり甘酒を温めたりして、訪れる人々に
 「入ってたんせ〜」と声をかけている。子供達がとても可愛いらしく、観光客も笑顔で中に入り
 もてなしを受ける。日帰りのため、横手城公園に行くことが出来ず心残り。また冬には珍しく
暖かい夜で、道の雪が融けてきて足元が悪く、あまりよい写真が撮れず残念でした。
  でも一度見たかった冬の行事「かまくら」に参加出来てよかった!!2006.2.15
 
     
武 家 屋 敷 跡 通 り 横手南小学校校庭
昼観光ガイドの
子供達
綿入れを着た可愛いい地元の子供達が
かまくらの中で、餅や甘酒をふるまってくれる!
若者が演じる太鼓
の音が夜空に響く
橋から見た横手川
川原のミニかまくら
箱そり 雪像トーマス号 秋田犬雪像

          ◎ かまくらの歴史 
   
    
     約400年の歴史があり、武士の屋敷町を中心とした火祭りとして行われていたが屋敷などが
         密集してきたため、火災防止などから自然に消えていった。 そして、明治時代になり、町民の
  屋敷で行われていた水神祭りと混じり、現在の大きなスタイルにかわったといえる。

         ◎ かまくらの語源 「かまくら」の由来
    
かまど説 かまくらのかまは、かまどのかまから発し、かまどの火で正月の飾り物を焼く習わしからとする説。
鎌倉幕府説 鎌倉幕府を由来とし、それが樹立されたことを祝う行事とする説。
水神様説 かまくらは水神様の祭典とするもの。
鳥追小屋説 かまくらは鳥追鎌倉や、鎌倉の鳥追いからでたものとする説
かみくら説 かまくらは、神の座(す)まう所の神座、神倉(かみくら)が、だんだん「かまくら」となったとする説。
                        
    このように、たくさんの説がある。